意志をもって生き切る。


嫁さんの祖母が他界。明治42年生まれ101歳の夏。当時は乳児死亡が多かったせいか、一年くらい届け出を見合わせたようで、ほんとは102歳とか。
春に肺炎で入院、体調が急変し生死をさまよったものの奇跡的に復活、呼吸器をつけて、すやすや眠る日々が今まで続いてた。そして8月、二度めの急変に嫁さんと駆け付ける。それでも血圧、血中酸素、全て良好。しかも百年とは思えぬ綺麗な手。嫁さんは気性の激しい祖母と過ごした幼少期もあり、長いこと気持ちが疎遠になってた様子。ただ、あたしとしてはご存命のうちに一度は会っておかなければと焦ってはいたが、ほんとに強いお婆さんさんなんだなぁ。と感服。
もう昏睡だったけど。親族と談笑してるさなか、ずっと開けなかった瞼を開き枕元の嫁さんを見て、何をいわんや口が動いてた嫁さんの祖母。そんな姿に安堵した私らはまもなく帰宅。そうして見舞った13日の深夜、激しくひとつ呼吸して亡くなったそう。人が天寿を全うする際の鼓動は、ドン!とひとつだけ、大きく打つと聞いたことがあるけど。
14日仮通夜、15日本通夜 壮大な天寿全うの影に隠れて、まだまだヒヨッコの39さいの誕生日は慌ただしく過ぎてく。なんかちっちゃいなと、じぶん。通夜というよりは天寿のうちあげに近い賑やかさのなか、百年を生ききった命に凄みすら感じた。嫁も知らなかった満州の帰国話など想像を絶する。幸福に胡座をかく俺ら。まだまだ赤子同然かも。
16日は葬儀。出棺まえ、親族が柩の祖母に生花を添えていくセレモニー。魂の抜け殻とわかっていても、このときばかりは理性を越えて泣けてくる。油山の刻の森で骨になると、参列者には見えないものだけが残り、空に溶けた魂と、惜別する。
ああ、夏の絶頂のようなお盆の空。
この夜、蝉は鳴かなくなった。秋の気配がする 9月一日生まれ。明治女性の駆け抜けた瞬間の百年に感謝せずにいられない。
嫁さんの祖母
大往生です。合掌