じかんの用途は自由ですが
静かな時間に満たされてる今、不完全燃焼だけはもったいない。
活字の向こう リビングで凹んでる方々、お見舞い申し上げます。
ため息ついて、ふがいなさにへこんだり。皆さんほんと忙しいと思う。
ただ広く遠くに向う忙しさでなく、どこまでも深く掘りさげるという点で。
社会は病的なまでに、水平方向の没頭を強いて、賃金という結果を出してくれる。
ところが自分で工夫し、垂直方向(?)の没頭を強いると、報酬という結果が出る。
極端な例だけど、ずっと寝続け、ずっと座り続け、ずっと居続けるも集中と没頭だ。
その辺はインドを旅するか、路地の猫を熱心に観察すれば明快だ。ワリ切れば
寝る場所は不自由なく、もしかすると飯もある。人間の場合、凹んで暮らす以外、
とても健康的で豊かで、リアルかネットのどこかに友がいて孤独も薄めてくれる。
今晩だけは、じぶんを水平にも垂直にも動かさないで、あえて頑張って
たぷたぷの時間、とりあえず飯が食えたこと、誰かに毒づけたこと etc
もうしっかり甘えて、湯船につかったら、水滴といっしょに落ちてくるかも。
なぜか人間は凹むということで、没頭や集中パフォーマンスを断ってしまう。
そのくせ、そこで発生するテキトーな迷いは死ぬまで続く。それが最も怖い!
水滴が落ちて湯船でしみじみ思うことがあれば、君はそれに飽きている。
それが何かはしらないけど。とっくに極めちゃったサインなのだ。
しみじみ思うことは
かすかな予感を含んでる
そのためだけ、つかうじかんとの決別のときが来てる。
それが15だろうと40だろうと、還暦だろうと臨終だろうと。
ひとり、リビングで凹んで過ごすこの瞬間に
活躍する知人、アグレッシヴな親戚とかさ。
わるいけど、みーんな
恨めしくもおもえたりする。
けど。それは思い込み。実はアグレッシブに戒め、掘り下げながら、
じっとすることを許されないような時代に抗っていたのかもしれないし。
仮にもし、ほんとうに逃げていたなら、その命はもうとっくに潰えている。
でもそうじゃないだろ?
生きただろ。今日
リビングで凹む暮らしが、したくても、できないひとも、これまた
ゴマンといる。ふつう、ワザワザやらないんだけどねw それに
これだけは、オカネが潤沢だからできるって生活でもないし。
条件がそろわないとできない、とても難儀なこと。
湯船でうつらうつらしてたら、水滴といっしょに降ってくる。
君のようなタイミングで、環境や時間、食事もできる、そんな暮らし、
何十億えん積んでもできない。その裏方には、親とか友だち、兄弟
または、黙って君を見過ごしてる(?)奥さんがいるのかもしれないし。
君は、オカネこそ儲かってなかったけれど
じかんは、世界のだれよりも儲かってた。
それを示す基準がないだけだ
よくよく考えたら、これだけ世界にモノが溢れ、なんでもかんでも選べるという
自由が揃う世界に、稼ぎや儲けを示せるものが、オカネしかないっつーのは、
甚だおかしいと思わないか?おれは甚だしくおかしいと思う。そこに芸財がある!
にんげんが90億いれば、90億種の儲けがある。そのひとにしか稼げない
レートもある。オカネという単一レートしか思考できないのは、不自然である。
太古日本では、その人にしかない才能やチカラ、特性のことを「カミ」と言った。
おれはじかんが欲しかった。無限のじかん。
そしてある日、湯船に落ちる水滴で気がついた。
無限のじかんは既に極めることができていたのだと。
いままで誰も成し得なかった、オカネ持ちをも凌ぐかもしれぬ
じかん持ちだったのである。ただのオカネのちからではなく、
まわりにいる、やさしい人達のおかげで。
孤独に苛まれるリビング
いらだつリビング
悲しむリビング
妬むリビング
こんなに狭い空間でおもう存分に
じぶんのためだけに時間を使えた。
世間のように、けっして遠くには進んでいない。
しかし君は、ずっと深く進んできたと誇りに思う。
つーわけで、人さまと比べてしまって
リビングで凹んでるひと。もうやめよう
じぶんが稼いでる何かは必ずある。
いまの経済システムが遅れてるだけだ。
おかねだけしか儲からない世界なんてさ。
君がいま、儲かってるのは何だ?