自民党の総裁選。ひとまず進次郎じゃなくて良かった。もし彼だったら週明け早々は急激な円高に振れるとこだった。月曜のオセアニア市場まで油断できんけど、近頃のドル円は底堅い。個人的には円安の150円はタッチすると見込んで複数のビッドを入れている。

シンプソンズの予言通り、高市首相が誕生すれば、北条政子以来の尼将軍が日本の強さを試すかもだ。崩壊しそうな自民にあって頼もしい。進次郎より延命できるだろうが、私たちが抜本的に変わらなきゃ、保守でも移民に頼るはず。
豊かな国土を眺めてみる。
泥にまみれれば、多くのにっぽん人は覚醒するかもしれない。私たちをにっぽん人として育んだのは、皇統のように足元まで続く豊かな泥土。まだ誰もが日本の民と心得ていない時代には、流入する漂着民を門前払いする理由もなかったが、鎌倉時代になってひと通り、多くの人種が混じり合った頃、蒙古の武人が率いる、鍋釜を携えた大量の難民が押し寄せたことで
先住系と渡来系に国家観が芽吹いた。
今のように成熟しきった国家が税をばらまき、移民を招けば悪意を持って住み着く輩もいる。まだ国家観がなかった遠い昔、漂着民が勝手に住み着いたならば、圧倒的に多数を占める、渡来系を含めた先住民と同化せずには生きられなかった。そんな経緯が能の世界に滲むようだ。
東の果てに吹き溜まる問答無用の同化が、日本の霊性に至る。同化できない流入民族を巻き込みながら血に染まる土。放置された屍。足元の泥が持つ記憶。それでも、そこに住む以上は越えなければならない絶望的な現実。
移民が増えて来たと言っても令和はまだ良い。田畑に屍が転がってない。日本が国として存在しているにも関わらず起きた、幕末に粛清された屍は不自然で不必要だった気がする。そんな理不尽なことも泥土は覚えているだろう。
にっぽんの農耕は、国土を調律する
嗜みであり、農家は神職に等しい。
宮中の新嘗祭は、勤労感謝の日と名を変え今も続いている。そんな歴史的お勤めを一身に担ってらっしゃるのが、誰なのか知っておきたい。
陛下ですら、新嘗祭において
足元の泥に触れておられる。
我々はどうだろう。にっぽん人の全てが農耕に励めとは言わない。ただ、せめてアスファルトの下にある泥土の感触や、匂いを取り戻せと言いたい。左や右じゃなく、にっぽんを無垢に肯定するならば、陛下のように泥土に導かれ、草花と戯れて欲しいと思う。