生き切る最後の学び。

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お盆だ、誕生日だ。41歳の夏だ。

と、浮かれた男が当ブログを更新
しかけていた。14日の夜のこと。

ちょうど奥さんが仕事から帰宅。何やら
慌てた感じだったので、ブログのUPは
おろか、保存もせずにPCの手を止め、
じいーっと奥さんの第一声を待ってた。

汗だくで荷物を置く音に、声がした。

先生が亡くなったって連絡あって
お通夜に駆け付けなきゃ、明日!

先生とは、奥さんがとても慕ってた
沖縄三線の師匠。儀間先生である
大正生まれの、懐の深い方だった。

私は三線はやらなかったが、ときどき
お会いして、いっぱいお喋りやお酒を
ご馳走になった。踊って賑やかな先生。
けっこん式でもお祝いで演奏して頂いた

じぶんがセンセと呼ばれる、ちよっと前、
先生「道」の心意気を学んだ師でもある

いささか閉鎖的な三線の世界で、好きという
気持ちと、音楽に免許は要らぬという信念で、
あえて師匠は師範免許を取らずに、何年も
数百名近いお弟子さんを迎え、育ててきた。

生前に聞いたけど、ご高齢になって、たくさん
弟子を抱えてても中傷やバッシングは続いた。

奥さんと稽古してたチカちゃんが当時、
自分のことのように悔しがってたという。

そのチカちゃんが今年、自らが師範と
なって福岡に帰ってきた矢先の訃報。

儀間先生、ほんと優しかった!

どんなに中傷されても、悪い相手でも
責め返したりしない。受け止めて終わる

そして、どんなに初心者でも、演奏のいい
ところを必ず褒めてくれる。そんな先生の
お陰で、奥さんはみるみる上達していった。

儀間先生は溢れんばかりの愛情があった。
きっと、うちの奥さんのこと大好きだったと思う
酒のめるし、上達はやいし、美人wだしさー

いつも笑ってる先生が、我が結婚式のときに
一瞬見せた寂しそうな目が、印象的だったな。

ひとり回想してたら、つい誤って
ブログデータを破棄してしもた

しかし。15日は盆うまれ私の誕生日ですが
二年前につづいてお通夜てんてこ舞いっす。

お盆になくなる方は、徳を積んで豪快で、賑やか好き。
病でなく老衰で他界される方が多い、ような気がする、
のは二年前、奥さんの祖母が百歳で亡くなったからで
あの夏も、誕生日どころでなく気がつけば秋だった。

お盆っつーのは、見えないなにかの
出入りが激しい。宙海一体の状態だ。

徳を積んだ方、完全に生き切った方だけ、
お盆に呼吸を合わせ、すぅっとこの世を
去ることができるのではないだろうか。

実際。先生の顔はやせ細っていたものの
仏さまのような安らかさと威厳に満ちてた。
真一文字に固めた口もと、生前から黒々と
力強い意志を感じさせてた、立派な眉毛。

死ぬときも呼吸だよ、と言わんばかりに、
ご先祖もご子息も、帰ってくるお盆に呼吸を
合わせて静かに息を引き取る、高尚な方々

そんな話と、更新データ壊した14日の夜。
ヤキトリ&パフュカラで我が生誕を祝った。
これも大事な自分行事だったので決行した

賑やか好きな先生も、
来るかもしれないし。

パッカパッカ呑んで、歌いまくったら
15日のあさは悶絶。そのまま実家の
盆行事に向かう途中、炎天下の駐車場
アスファルトの上に吐き、あっという間に
蒸発するほどに暑い暑い、暑い夏だった。

罰があたったとは思わない。
コーナン駐車場の日差しに
我が生きてる命を感じたから。

日暮れの渋滞、高速を通り福岡へ。
お通夜の読経には間に合わなかった

けれど、先生だけが、誰もいなくなった
祭壇のもとで威厳に満ちた顔で、寝てた。

奥さん、待っててくれたみたいに

奥さんはとつとつと、先生に語りかけ
涙ぐんでた。しばらく疎遠になったこと。
先生の眉は生前より黒く、意志を感じた

柩から飛び起きて、はっはっはー。
楽しく飲みましょう!例の曲やるよ。
黒々した眉が発する、故人の意志

三線はたのしく過ごす道具ですよー。
先生はいっつもそう言って、人が集まる
居酒屋や飲み会で三線を披露してくれた

15日、我が誕生日。445jimへ脱皮する日。
先生にお会いし強く強く励まされる日となった。

宇宙がじんわり内在化していく、41歳の夏。
白と黒も表と裏も、陰と陽も生と死も、あの世と
この世も全て。交差してゆく、8月15日でした。