本当の希望は絶望から生まれる。
いや。絶望しか希望は生ないのだ!
もいっかい言う
本当の希望は、
絶望からしか生まれない。
どうだ?絶望してるかい
みなさん。してないだろ
そら仕方ない。
テレビはバラエティ、ニュースは楽観。
ご年配はにこやか。お金貰って逃げ切るのみ
もう日本は老害の末期である。子供から先に死ぬ。
おれはニホン国とは心中しない。
バブル後の就職氷河期、第一期生。就職すれば売上の為に
5徹6徹 当たり前。退職すれば雇用の約束はどこにもない。
そんなこんなで時代を泳いできたワケなんですが、
わざとふわふらした世の中にしているとしか思えない。
インボウとかではなくて、これは国の老化現象かもしれん。
生かさず殺さずに。娯楽もあり、食べ物もたくさんです。
でもね、そのハリのない希望の薄皮をぺろんと剥がせば
もう、絶望しかないって。
ただ、そんときの真実は、
とっくに「絶望」を過ぎた
何のエネルギーを生まない
ただの「諦め」でしかない。
怒りのエネルギーこそが、変化のエネルギーなのだ。
変化を生まないよう、怒りをテキトーに逸らすために
日常茶飯事、アチコチで事実のすり替えが行われたり
ふわふわとした、生ぬるい危機にしか考えられないよう
絶望だと感じないよう、そして怒りに転じないように。
また、それが変化のエネルギーに育たないよう
しょぼいトラップがいっぱいだぜ。
怒りのエネルギーは、必ず!
変化のエネルギーを生み出す。
かといって
日本中、どこもかしこも怒りまくって
デモのついでに、暴徒化しちゃうとか
隣国の国旗を焼くとか大使館襲うとか
でもなくて
「叱るエネルギー」を発すれば良いのだ。
これも変化へのエネルギーを育てるはず!!
そういえば、いま日本人で、どのくらい
怒りと叱りの違いが判る人いるんだろう?
テレビからは怒りの表現や爆破(西部警察的)映像。
お笑いウルトラクイズ(笑)お金カカルからそういうのも減った
さらに、そこから先、叱るという言葉すら減ってる。
怒りはネガティブとか、叱りも大きなお節介ですと。
今やせいぜい「ツッコミ」という、
目も当てられない言い回しばかり。
民主主義っつーのは、国が壊れた時
政府は一切責任を負わないってことである。
責任は民だ。民が腹切らなければいかんのね
たとえば
自分が選んで雇った家政府…もとい家政婦が、家で勝手なことをして
いるとする。それにあなたは腹を立ててはいるが、嫌味しか言わない。
まさにそれは黙認していることに他ならないし。家政婦は止まらないし
何かにつけ給料を上げろといい、
トイレ掃除を任せたら、リフォームまで
始めてしまった。しかも今さら汲み取り式。
イッパイになった。どこに頼む?
なかなか業者も見つからない。
それもめんどいから家政婦まかせ。
アナタは仕事で忙しいと言って外出する。
なぜか招く業者は、ことごとく破格の値段で見積り。
かといって一刻が大事。ほったらかすとあふれ出る。
近所の苦情は半端ない。
もう時機に裁判沙汰である
そんな状況、去年3月の福島だった。
国の主はあなただ。責任はあなたにある
確かに。私もあなたも、みーーんな悪い。だが、
それを怒れないというのは、もうどうかしている。
腹ただしいのは正論だ!自分が悪かろうが、
腹が立つなら怒って良い。それが人間だからだ。
怒りは必ず変化のエネルギーに高まる。
怒りがお下品というなら「叱り」のエネルギーだ!
今やもう。誰もが変化のためにアウトプットすべきですよ!
怒りや叱り、笑い。内燃させなければ何でも。
それが変化のエネルギーになるなら、何でも!
おちゃめでない 老害は撲滅ーーーーー!