おじゅず廻しに思ふ。


大川の叔母さんは、親父の姉で
70代も後半なんだけど、じつは
今でも可愛くて大好きなんだよな。
1さいくらいんときの
俺を抱っこする写真は
にっこにこしてて、
いま子供いなくて、体調もすぐれなくて
ほんとは、きっと寂しいんだろうけれど
いまでもニコニコして冗談を言ってくる
誰に会っても、どんなときも。ですよ
実弟が亡くなった
通夜のよるだって。
父は兄弟が多くてさ、7にんだったりするが
世に言う団塊の世代はいま、人生の幕引き
ラッシュが始まってる。
亡くなるのは惜しまれるけど、万物はすべて
収束から解放に向かうので仕方ない訳で。
もう感傷にひたるのはやめときますよ。
ここ最近。半年に一回の割合で葬儀に出てる
そんで葬儀の数だけ、親族が集まることになる
戦後、団塊の世代で核家族化が始まって
一家族6にんだったのが、皆さん成人して
結婚なんかすると、6家族ができたんだわ。
これ。すごいことになるって
わかるよね。経済的なところ
高価なテレビ、冷蔵庫、くるまが一家族に
一台ずつ、ローンで購入されるだけで、
敗戦国20~30年の繁栄は手堅いんじゃね?
そそ、ぼくら。にほんじんは勘違いしちゃ
いけなかったんだわ。甚だしい勘違いだ
敗戦国20~30年の。
繁栄に過ぎなかったてこと。
戦勝国じゃねーから。何が起きるか?
詐欺まがいな経済に引きずり込まれた
平たくいうと、ちやほやされてさー
最後はボラレル。よくあることです
おおかた。ぼくらはボラレル世代です。
旧戦勝国&その利権の蜜を吸う何かに
ボラレルのはこれから先は
おかねだけじゃないぞ。注意
あなたや、あたし、命。生存権。
そのものです
そういうイベントは、ネットでよく
見えるカタチで半年前に始まった。
そんで話をぐいーーっと戻す
ここ最近。半年に一回の割合で葬儀に出てる
そんで葬儀の数だけ、親族が集まることになる
団塊の世代、それぞれ兄弟は一億総中流の
泰平のなか、正月と盆に集いお酒を飲んでた。
そして、その子供ら…つまりあたしらジュニア。
団塊じゅにあ、というひとは、親のきょうだいの
ぱーてぃなんて興味なかったんで、集まらない
ちいさいときは楽しかったけどさー
中高生になると、ほんと。ウザクて(笑)
それに増して。世界で色んなことが始まった。
仕事はない、金はない、先が見えない
団塊の世代が恨めしくも思ったわ。
よくもまー、こんだけ、一世代しか繁栄しない
やり方で。お尻ふく世代を否定するなあと…
何も踏襲するもんがなくて。価値観も
おかねも、なんもかんも。世代間で
こんなに蟠りがあるもんかとさ。
ところが。
近年。頻繁に葬儀にでて気がついた。
葬儀ともだちができてしまうということを。
それが 30ねん余、会うこともなかった
団塊じゅにあである、いとこ達だった
親の兄弟がおおいから、じゅにあも
そこそこ多いし歳も近く。同窓会ぽい
親密ではないけど。似た血をもつ人が
いるんだなとおもえる。緩やかな連携
この感覚こそ、
財産かも。と、思うときが来たと
幕引きラッシュの中でじんわり思うよ
気づけないひとは
最期まで気づけなく
時代に振り回されてく。
金もしごとも、未来もなくても
血筋はどこかに残ってるはず。
そう思えるだけで気が楽になる
祖父母が戦争を生き抜いて育てた私らの
親親はその時代の役目を終え、親族が集う
葬儀というイベントを否応なく畳みかけてきた
これは祖父母やご先祖が、将来を織り込んで
繋いだ、生きた財産なのかもしれない。いや
家族とか血筋ってそもそも、そういうもんだろ。
勝ち負けもなく、他人にボラレない生きた財産
でも、自分の気持ちひとつで失う、難儀な財産
ナンマイダーー。なんまいだーーと、ひときわ元気に
おらぶ叔母さんの声とともに、おいらの手をすり抜ける
おじゅずはぐるぐる巡り、するすると通り抜けてく。
おじゅず廻し
エンドレスに思ふ
合掌